樋口 剛志

PROFILE樋口 剛志

株式会社電子食品流通研究所 代表取締役
1979年生まれ、愛媛県砥部町出身

小学生の頃から野球に打ち込みピッチャーとして活躍。今治西高等学校、立命館大学卒業後、日本を代表する名門チーム「日本生命硬式野球部」でプレイ。28歳の時にホテル・レストラン・バンケットを運営する「株式会社Plan・Do・See」に転職し、赤坂プリンスホテル旧館のリノベーションなど、多くのプロジェクトを通じて本物の価値を学ぶ。37才の時に宣告された病気をきっかけに自らの食を見直し、故郷での新たなスタートを決意。電子技法での農業に挑みながら、地元メディアや講演会での発信や、青山ファーマーズマーケットをはじめとした、各地の生産者・消費者と直接出会い繋がる場を通して、食の大切さを伝えている。趣味はとにかくおいしい食べ物を見つけること!座右の銘は”念ずれば花開く”

>> 電子食品流通研究所 公式note

STORY 1出会い

父の疑問を解決した
電子技法

はじまりは、1976年のこと。創業者である父と「電子技法」との出会いをきかっけに、電子食品流通研究所は誕生しました。創業当時の日本は、経済発展と共に農業も急速に近代化が進み、多くの化学肥料や農薬が使われるようになっていたころ。愛媛でみかん農家を営んでいた父もその潮流に乗り、化学肥料をたくさん使い、経済の豊かさと共に拡大する需要に応えるべく山を開き、増産を続けていました。

しかし、父はそんな農業のやり方に疑問を持つようになっていったのです。

化学肥料を使えば使うほど、害虫がやってきてみかんが荒らされ、多くの農薬を散布しなければならなくなっていくことへの葛藤。農薬の影響で健康被害を訴える農家の人が少なくないという現実…。「このままでは農家も消費者も、安心して暮らすことができない世の中になってしまう」と、日本農業の未来を案じ、模索し、出会ったのが「電子技法」でした。

化学肥料と農薬を用いた近代農法全盛の日本において、自然本来のあるべき姿に戻すという「電子技法」は大きな挑戦であり、簡単な道ではありませんでした。それでも「社会と人々の不安、混迷を電子技法によって解消し、真に幸せな社会・人生を実現したい」という理念を掲げ、食の安全と健康への想いを追求する、父の挑戦が始まったのです。

人生の転機

STORY 2人生の転機

自身の病いで
気づいた真の幸せ

37歳の時、大腸がんの告知を受けました。想像したことのない大きな病の宣告です。

当時私は東京で「株式会社Plan・Do・See」という企業に勤めており、やりがいのある仕事や都会での暮らしに満足し、充実した日々を過ごしていたつもりでした。しかしその日常は、一瞬にして不確かなモノになってしまったのです。

そこで改めて考えたのが、生命を育む「食」の大切さ。口に入れるものを正し、健康を手に入れる。その先にこそ、豊かな人生があるということ。

父が長年「電子技法」を通して追求してきた”真に幸せな社会や人生”がどんなものなのか、今の私にはまだ答えが出せません。ですが、健康であるということが、その基盤にあることは揺るぎのない事実だと実感しました。だからこそ、私と同世代の働き盛りの人をはじめ、日本の未来を担うすべての人たちに、幸せの源について改めて考えて欲しいのです。

故郷へ

STORY 3故郷へ

生まれ育った砥部での新たなスタート

実家のある愛媛県砥部町は、人口2万人程の自然豊かな小さな町で、砥部焼というやきものとみかんの町です。

この地で父が手掛けてきた自然食品の事業や「電子技法」によって育まれてきた農作物、そして代々受け継がれてきた山や田畑には、積み重ねた歴史やここにしかない物語から生まれた、本当に良いものが持つ価値があります。

実家を離れて20年以上が経っていましたが、今後の人生や真の幸せについて考えた時、その価値を改めて学んでみたいと心から思いました。そして、今まで私が感じてきた一流のサービスや時代の雰囲気、信念を貫く粘り強さを活かして進化させていくことで、新たな価値を創造していけると確信したのです。

この小さな町から全国・世界に向けて、食の大切さを発信したい。毎日が、そして人生が豊かになっていく源を伝えたい。何よりも、家族とともに真の幸せを追求していきたい。

そんな大きな夢を持って、故郷での新たな挑戦が始まりました。

これから

STORY 4これから

念ずれば、花開く

諦めないこと。信念を持ってやりきること。自信を持ってお伝えできる、私の強みです。

立命館大学の野球部に所属していた頃、3年間まったく試合に出ることができず「もう辞めようかな」と思ったことがあります。それでも4年生で初めてベンチ入りすることができ、迎えた同志社大学との伝統の一戦。エースピッチャーの調子が振るわず、私にチャンスが巡ってきました。監督としては次のピッチャーに繋ぐためのリリーフだったかもしれませんが、私にとっては野球人生をかけたマウンド。無我夢中で最後の一球まで投げ切り、見事優勝を手に。胴上げ投手として、まさに花ひらく瞬間を味わうことができたのです。

野球を通して培った、粘り強く最後までやり抜く力、諦めない心は、毎日自然と向き合う農業に挑む、大きな武器となりました。何をどのようにつくるのか、そのために何をするのか、すべてを自分で判断していく日々は常に戦いで、正直とても大変です。それと同時に、今日も美味しいものを食べて、幸せを存分に感じながら、自分らしく生きています。

故郷に戻ってからは、地元のTV・ラジオなどのメディア出演や講演会のオファーなど、より多くの方へ想いをお届けする機会をいただいています。また、青山ファーマーズマーケットや六本木ヒルズで開催されるマルシェ、代官山蔦屋での販売、日本橋三越での催事など、全国各地のこだわりある食材が集まる場所での取引も年々増加し、直接お客さまや生産者のみなさんとお話しさせていただくことで、新しいご縁も広がりました。そして、当社のアイデンティティが詰まったオリジナル包装紙も完成しましたので、みなさんの大切な気持ちに、ちょっとした驚きと嬉しさをプラスして、食の楽しさも一緒にお送りできると嬉しいですね。

そんな暮らしの中で、信頼できる生産者が想いを持って生み出した、安心して食べられるものを、この先もずっとみなさまにお届けしていきたいと思っています。

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